≪ことばの交差点 ≫ 43
- 矢野修三

- 8月26日
- 読了時間: 3分
日加トゥデイ 2026年8月号 掲載
☆ 「ぎなた読み」とは・・・?
日本語にはこんな言葉遊びがある。例えば、「ぼくはしらない」の読み方。
「ぼくは、しらない」(僕は知らない)と「ぼく、はしらない」(僕、走らない)である。
すなわち、切るところを変えると違う意味になってしまう遊びである。
よく日本語クラスの授業中に、こんななぞなぞ遊びをした思い出がある。
「女の子がカメラを買いに『カメラください』と言ってお店に入りました。するとお店の中に三匹の動物がいました」、その動物はなーんだ ?
これも言葉遊びとして知られている一つである。この「かめらください」を切るところを変えて読むと、「かめ/らくだ/さい」となり、三匹の動物は「カメとラクダとサイ」と説明すると生徒はびっくり。日本語の面白さも加わり、クラスの雰囲気も明るくなる。
この奇妙な読み方は一般的に「ぎなた読み」と呼ばれている。でもこんな言葉、日本人でも知っている人は少なく、小生も日本語教師になってから、初めて耳にした言葉である。
この「ぎなた読み」の由来は「弁慶が、なぎなた持って」と読むべきところを、間違えて「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んでしまい、それから、切るところ変えて読むことを「ぎなた読み」と言うようになったとのこと。なるほど。
この「ぎなた読み」で有名なのが、「ここではきものをぬいでください」である。これを読んだご婦人が着物を脱ぎ始めたと、いうお話。「ここで、はきものをぬいでください」ではなく、「ここでは、きものをぬいでください」と読んでしまったのである。
また、新聞の高校野球記事の見出しに、「エースがちんこ勝負」と書いてあり、これを「がちんこ」という言葉を知らない子供が、「エースが、ちんこ勝負」と読んでしまった・・・。こんな笑い話もある。
この「ぎなた読み」を上級者に話したら、英語にも同じようなものがありますよと、こんな例文を。「Let’s eat ,Grandpa.」である。もし、この文のGrandpa(おじいちゃん) の前のカンマを忘れたら・・・。なるほど。確かに恐ろしい文になってしまう。So funny カンマは大事なり。
この「ぎなた読み」に関して、江戸中期の歌舞伎脚本家である近松門左衛門に、こんなエピソードがある。文の読点(とうてん)を軽んじて、ないがしろにする数珠屋の主人に、
「ふたえにしてくびにかける」数珠を注文した。そして、主人は「二重にして、首にかける」数珠を作ってきた。すると、近松は注文した数珠は「二重にし、手首にかける」数珠であると突き返し、読点の大切さを分からせた、という話である。なるほど。
この「ぎなた読み」、漢字で書けばすぐ分かり、遊びにならないが、ひらがなで書いたり、口で伝える場合は分かりにくく、面白みもある。日本語教育においては、まるで必要ないが、でも助詞の「は」を「wa」と発音させることが、日本語教師としては大事であり、そのトレーニングに役に立つものもある。上記の「ぼくはしらない」などいい例である。
これは言葉遊びとして、飲み会などのネタとしても、いろいろ作られている。「乳がんは男性にも、まれながら発見される」。これを「ぎなた読み」にして、思わずニヤリとする男性諸君も・・・。
区切り方一つで意味が大きく変わる言葉の妙に、改めて口もとがゆるんでしまった。

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