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「カナダで出会った新渡戸稲造」⑧
☆ 新渡戸紀念庭園、なぜUBCに・・・ 野球に関することから新渡戸稲造に興味を持ち、あれこれ調べていくうちに、いろいろな分野で素晴らしい功績を残した偉大な国際人、大いに感動しました。 そこで生い立ちから生涯を閉じるまで、「カナダで出会った新渡戸稲造」と題して七回に分けて...

矢野修三
2021年5月9日読了時間: 4分


「カナダで出会った新渡戸稲造」⑦
≪その知られざる魅力≫ ☆ 晩年の稲造、なぜ「唐人お吉」にお地蔵を・・・? 国際連盟における新渡戸稲造の活躍は「ジュネーブの星」とたたえられ、日本という国を世界に知らしめました。それはまさに、「太平洋の架け橋」から「世界の架け橋」になった思いだったでしょう。6年間の事務次...

矢野修三
2021年5月8日読了時間: 4分


カナダで出会った「新渡戸稲造」⑥
≪その知られざる魅力≫ ☆ 台湾で大仕事、国際連盟でも! 武士道を出版した翌年1901年、新渡戸稲造は台湾総督府の役人となり、技師として 砂糖キビの改良に乗り出します。当時の台湾は日本の植民地であり、農業開発が大きな課題でした。そこで農学の専門家である新渡戸稲造に白羽の矢...

矢野修三
2020年11月27日読了時間: 4分


カナダで出会った「新渡戸稲造」⑤
≪その知られざる魅力≫ ☆ 素敵な出会い と 「武士道」 1884年(明治17年)、22歳の稲造を乗せた船は横浜港から太平洋を渡って サンフランシスコに到着、さらに数日間も大陸横断鉄道の汽車に乗って、はるか 東のペンシルベニア州にようやくたどり着きました。稲造にとっ...

矢野修三
2020年9月26日読了時間: 4分


カナダで出会った「新渡戸稲造」④
≪その知られざる魅力≫ ☆ 札幌農学校 そしてアメリカ留学 東京に住んでいる太田叔父さんの養子になった稲造が盛岡から東京にやってきたのは、 明治4年(1871年)9歳のときで、名前も太田稲造と変わりました。 そのころの東京はレンガ造りのビルが建ち並び、道もどんどん整備さ...

矢野修三
2020年7月24日読了時間: 3分


カナダで出会った「新渡戸稲造」③
≪その知られざる魅力≫ ☆ 生い立ち、そして旅立ち 新渡戸稲造が生まれたのは今からおよそ160年前の1862年です。 1853年にペリーの黒船が来航し、尊王攘夷そして討幕の嵐が吹き荒れていた、 まさに江戸幕末激動の真っただ中でした。...

矢野修三
2020年5月24日読了時間: 3分


カナダで出会った「新渡戸稲造」②
≪その知られざる魅力≫ ☆ 出会いの「きっかけ」 新渡戸稲造の名前はもちろん知っていました。「武士道」を書いた人ということも 少し知っていました。そして5千円札の肖像(1984年~2004年)になっていたことは よく知っていました。ですから、とても偉い人だと思っていまし...

矢野修三
2020年3月23日読了時間: 4分


カナダで出会った「新渡戸稲造」①
その知られざる魅力 ☆ 新渡戸ガーデンの漢字「紀念」のすばらしさ 数年前に、ある「きっかけ」から新渡戸稲造にのめり込みました。日本に行ったときは、 彼の生まれ故郷の盛岡まで足を延ばしたり、ゆかりのある伊豆・下田を訪れたりしました。そして2016年には台湾まで、新渡戸稲造...

矢野修三
2020年1月24日読了時間: 3分
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