外から見る日本語 238
- 矢野修三

- 2022年3月31日
- 読了時間: 3分
バンクーバー新報 2022年3月掲載

☆ 「勉強」と「おまけ」 !
最近「十干・十二支」にすっかりハマってしまい、中国の友人や
生徒に、古代中国の古き歴史なども含めて、いろいろ調べて
もらった。とても勉強になり、お礼を申し述べた。その際、
この「勉強」という言葉にあれこれ花が咲いた。
日本語教師として、中国人学習者を教えるのは、英語圏の生徒を教えるより、比較的
楽である。それは漢字が分るから。もちろん発音は全然違うが、漢字で書けばかなり
理解してくれるので、気が楽である。
しかし、日本語の意味とまるで違う漢字も結構あり、驚きと笑いを何度か経験した。
例えば、「手紙」である。かなり昔だが、中国人の初級クラスで、黒板に「親に手紙を
書く」と漢字で書いてしまい、生徒たちの戸惑いの顔が忘れられない。なんと、
中国語では「トイレットペーパー」だと分かって、びっくり。確かに、
「手紙」は「手の紙」だから「トイレットペーパー」のほうがふさわしいかも。
この「勉強」にも驚いた。中国語では「強制する・無理にさせる」とのことで、
「学習」などの意味は全く無く、なぜ? と、強い疑問を抱いた。でもはるか昔、
この言葉が日本に伝わってきたときは、当然中国と同じ意味として使われていたようだが、文明開化の明治時代に、この「勉強」を「学問・学習」の意味として、
使い始めたとのこと。えー、これまたびっくり。
でも確かに、「勉」や「強」は「しいる」という意味があり、「勉強」とは
「無理にさせるものなり」。今まで考えたこともなかったが、大いに納得である。
特に明治初期は、西洋に追いつき、追い越せのご時世、この「勉強する」を「学問に励む」の意味として、意識的に若者たちが使い始めた、当時の若者言葉だったのでは・・・、
そんな思いを募らせている。
この「勉強する」には、もう一つ「値段を安くする」という意味が辞書にも載っている。商い言葉として、日本独特のなかなか粋な用法だが、今どきの若者世代はほとんど使って
いないようで、ワーホリなどの生徒に聞いても、大半が分らず。いと寂し。
こんなこと調べていると、懐かしい言葉に出会えた。「おまけ」である。子供のころ、
グリコの「おまけつきキャラメル」を思い出しながら、「おまけ」の語源や漢字に、
またまた、びっくり。商売の売り買いで、「お客に負けた」、この「負け」に「御」を
つけて、「御負け」とのこと。えー、ホント。今まで全く知らず、日本語教師として、
恥ずかしい限りだが、うーん、なるほど。でもこの漢字の「御負け」はとても馴染めず、
知らないほうが良かったかも。
この「おまけ」と「勉強」の関係を中国の日本語上級者に話すとかなり盛り上がる。
「先生、もう少しおまけしてください」は、授業料のことかな・・・、
でも、「先生、もう少し勉強して」は、わざと両方の意味をかけて・・・、
こんな手ごわい生徒が現れないことを願いつつ。




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