≪ことばの交差点≫ 40
- 矢野修三

- 2 日前
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日加トゥデイ 2026年5月号 掲載
☆ 「行く春」の読み方は・・・?
皐月5月もすでに後半に・・・、若葉も日に日に色濃くなり、春は静かに背を見せながら過ぎ去ろうとしている。この季節、日本の報道関連の記事には「行く春を惜しむ」、こんなフレーズがちょくちょく目に入る。
さて、この「行く春」の読み方だが、日本人は無意識に「ゆく春」と読む人が多いのでは・・・。ごもっとも。この「いく」と「ゆく」の読み分けだが、そこはかとなく使い分けている。ことさら学校で習った記憶などないが母語が持つ素敵な感受性なのであろう。
でも、日本語学習者にとってはややこしい。初級レベルでは「行く」は「いく」と教える。「学校に行く」や「会社に行く」である。しかし、レベルが上がるにつれて「ゆく」も教えなければならない。例えば、「行く年・来る年」なども日本人は「ゆく年」のほうに親しみを覚える。
すると上級生徒から、「いく」と「ゆく」の違いは何ですか、こんな質問をよく受ける。そこで、とりあえず「ゆく」は特別なケースに使うと、教えているがなかなか説明しにくい。
この「ゆく」と「いく」の歴史的経緯だが、奈良・平安時代は「ゆく」だったが、
「いく」も登場して、江戸時代ごろから明治以降はどんどん「いく」のほうが主流になってきたようである。確かに、現在では、漢字「行く」だけなら、「いく」と読みたくなる。
でも、松尾芭蕉の俳句、「行く春や」や「行く秋ぞ」などは当然「ゆく」であり、
戦時中の歌謡「海行かば」も無論「ゆく」。古風で情緒的、文学的な場合はちゃんと使い分けている。
そこで「行く春を惜しむ」だが、惜しまれながら去っていく感じであり、やはり「ゆく」のほうが余韻を残す感じで落ち着く。状況にもよるが、「行く冬を惜しむ」などはあまり耳慣れない。
また、個人差もあろうが、例えば、友達との会話で、急いでいる雰囲気であれば、
「急いでどこにいくの?」であり、カジュアルな服装で旅行にでも行くような雰囲気で
あれば、「あら、どこにゆくの?」と、何となく使い分けたくなるのでは・・・。
かっこいい、Cool !
このように日本人は「ゆく」と「いく」を何となく見事に使い分けているが、これを生徒に教えるのは文法的な決まりなどないのでとても大変。そこで、一応日本人の考え方を説明した後で、こんなテーマを出して遊びながら教えている。「行き先」の読み方は「いき先」と「ゆき先」とどちらでもノープロブレム。でも、日本人になったつもりで、使い分けを考えて、である。
すると、ある生徒は「伝統的でおもしろい場所」は「ゆき先」ですが、「おもしろくない場所」は「いき先」です、と答えた。お見事。思わず笑ってしまった。では、行き先が
京都の場合は・・・、と聞くと、もちろん「ゆき先」です。でも、Schoolに「ゆきます」は絶対言いたくないです。うーん、なるほど、すごい、思わず脱帽。
でも、少し面倒な側面も。「一度行ってみたい」などの「行って」を日本語教育では
「て形」と呼び、「行く」の「て形」は「行って」と教える。
すると、生徒は「行って」の読み方も当然「いって」と「ゆって」と二つあると思う。
でも「一度ゆってみたい」は意味が分かりにくい。それ故、「行く」の「て形」は残念ながら「いって」だけ。
こんなこと一般的には気にする必要ないが、うーん、日本語教師としては意識しなければやばい。それなら、平安時代の「ゆく」の「て形」は「ゆきて」だったようなので、
これを強引に使って、
「ぜひ一度京都にゆきてみたい」を生徒に教えてみたいぞなもし。(ですよー、の土佐弁)
ちなみに、「竜馬が行く」だが、坂本竜馬はでっかい夢に向かって突進したのだから、「ゆく」と読みたい人が多いのでは。でも若者世代は「いく」と読む人も多い。そこでどうしても「ゆく」と読んでもらいたい場合は、本のタイトルのように「竜馬がゆく」とひらがなが分かりやすい。確かにひらがなのほうがどことなく日本語として軟らかさを感じる。
日本語は奥が深く、なかなか「行き先」が見えず、とても大変。でも、そんな日本語を楽しく教えながら、さらなる上級日本語を目指して、あまたの「生徒がゆく」。こんなCoolは光景を思い浮かべている。

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